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『TOYOTA 三年分ください。』 健介と北斗の笑顔に癒されますね。
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【おやじのせなか】
2、3歳のころ、いきなりボートから海の中へ放り投げ込まれ、死にそうになりました。何かの教育だったのか、いまだに理解できない。変わったおやじでした。
福岡市にあった自宅を事務所にして、不動産と金融の仕事をしていました。すぐに機嫌が悪くなって怒鳴るので、母と三つ下の弟といつもおびえていた。遊園地で写真を撮ったときは悲惨で、「笑え」と言われても顔が引きつって大変でした。
強くなりたい。そう思って小2から柔道の町道場に通ったのは、絶対権力者であるおやじに対抗するためでした。
小6のある日、下校途中に6年の集団にからまれ、ぽろぼろにされた。帰宅すると、今度は「やり返すまで帰ってくんな」とおやじにぶっ飛ばされた。家を飛び出し、1人ずつ呼び出して何とか全勝しました。それから自分の中で何かがはじけました。
中学校ではツッパリを相手に殴り合いばかり。「手に負えない」と担任や校長が両親に転校を勧めたのが、全国レベルの柔道部がある中学校。そこで本格的に柔道を始め、けんかをしなくなりました。
柔道の強豪だった私立東福岡高校に入り、県大会の個人戦で3位になりました。おやじには決して手を出しませんでしたが、柔道で強くなることが無言のアピールでした。
新日本プロレスにいた94年9月、今は亡き橋本真也とのヘビー級タイトルマッチの前夜、おやじが死んだと警察から電話がありました。自殺でした。実家についたときはもう骨になっていました。
僕らが子供のころ、なんであんな態度をとったのかを知りたくて、一度地元で試合があったとき飲み屋に誘ったんです。でも、1時間もしないうちに、おやじが「出よう」と。照れくさかったんでしょうが、肩透かしを食った気がしました。
遺骨を前に、そのときのことを思い出し、なんて不器用なおやじだったんだろうと、涙が出ました。
僕には9歳と5歳の息子がいます。男の子でも、キスしてとことんかわいがります。感情をストレートに出すのはおやじを反面教師にしているから。真正面から向き合ってほしかったと、いまでも思います。
2、3歳のころ、いきなりボートから海の中へ放り投げ込まれ、死にそうになりました。何かの教育だったのか、いまだに理解できない。変わったおやじでした。
福岡市にあった自宅を事務所にして、不動産と金融の仕事をしていました。すぐに機嫌が悪くなって怒鳴るので、母と三つ下の弟といつもおびえていた。遊園地で写真を撮ったときは悲惨で、「笑え」と言われても顔が引きつって大変でした。
強くなりたい。そう思って小2から柔道の町道場に通ったのは、絶対権力者であるおやじに対抗するためでした。
小6のある日、下校途中に6年の集団にからまれ、ぽろぼろにされた。帰宅すると、今度は「やり返すまで帰ってくんな」とおやじにぶっ飛ばされた。家を飛び出し、1人ずつ呼び出して何とか全勝しました。それから自分の中で何かがはじけました。
中学校ではツッパリを相手に殴り合いばかり。「手に負えない」と担任や校長が両親に転校を勧めたのが、全国レベルの柔道部がある中学校。そこで本格的に柔道を始め、けんかをしなくなりました。
柔道の強豪だった私立東福岡高校に入り、県大会の個人戦で3位になりました。おやじには決して手を出しませんでしたが、柔道で強くなることが無言のアピールでした。
新日本プロレスにいた94年9月、今は亡き橋本真也とのヘビー級タイトルマッチの前夜、おやじが死んだと警察から電話がありました。自殺でした。実家についたときはもう骨になっていました。
僕らが子供のころ、なんであんな態度をとったのかを知りたくて、一度地元で試合があったとき飲み屋に誘ったんです。でも、1時間もしないうちに、おやじが「出よう」と。照れくさかったんでしょうが、肩透かしを食った気がしました。
遺骨を前に、そのときのことを思い出し、なんて不器用なおやじだったんだろうと、涙が出ました。
僕には9歳と5歳の息子がいます。男の子でも、キスしてとことんかわいがります。感情をストレートに出すのはおやじを反面教師にしているから。真正面から向き合ってほしかったと、いまでも思います。
~COVER STORY~ 〔ドゥーパ!4月号 940円〕
ホームセンター大好きのプロレスラー佐々木健介さん
今月の表紙キャラクターは、プロレスラーの佐々木健介さん。リングの上だけでなく、CMやバラエティ番組の出演など、多忙な毎日を送る健介さんだが、リラックスできる休日の過ごし方のひとつは、ホームセンターに行くことだという。
「たくさんの商品を見ていると新しい発見があって、それに刺激されるのか、たとえば若手への指導方が浮かんだり、新しい発想が生まれるんですよね」
ホームセンターでは、日用品や防犯グッズなどを買い込んでは、奥さんの「鬼嫁」ことタレントの北斗晶さんに、「これ、いつ使うのっ!」と起こられるのだとか。
「本当は電動工具もそろえたいんですけどね、でもちょっと無理ですね(笑)」
そんな健介さんは根っからのDIYer。子供の頃は実家の裏手にあった木材店が遊び場。「だから木の香りって大好きなんですよ、和みますね」今でも簡単なテーブルや椅子などは自分で手づくりするという。将来は10歳と5歳のご子息といっしょに、ものづくりを楽しみたいとか。
「ものづくりって考えることの連続ですから、それは生きる力を養うことになると思うんですよ。もう少し大きくなったらいっしょにDIYしたいですね」
お子さんとDIYを楽しむときにはドゥーパ!が取材に行きますよ。それまで、親子木工の企画、あたためておきます!